日本では平安時代に身分によって、椅子、床子などが用いられることがあったが、広く継続・普及しなかった。屋外では、戦場などで折りたたみ椅子(「
床几(しょうぎ)」)や、露天の茶店などでベンチに相当する椅子(「
縁台(えんだい)」)は用いられた。ただしこれらは一時的に腰を掛けるものであり、普段は
畳に直接座る生活習慣を持っていた。また、仏教寺院では曲が用いられる事もあった。邦楽の世界では
合曳(あいびき)と呼ばれる現代の
正座椅子に酷似した形状の
指物の椅子が長く使われてきた。
江戸時代以前でも西洋と交流・交易のあった場所や、教会や洋館などでは用いられていた。
ロシアの使節
プチャーチンの秘書
ゴンチャロフは、
1853年(嘉永6年)
12月8日、
長崎を訪れた際に見た日本人がいかに椅子に不慣れであるかを彼の著書『日本渡航記』(
1857年)に書き記している。これによると、ロシアの使節団と幕府の要人との間でまず両代表による会見時の座り方をどのようにするかが話し合われたが、ロシア人が畳の上に5分も座っていられなかったのと同様、日本人も椅子の上に座ることができなかったという。日本人は椅子に座ることに「慣れないために足が痺れるのである」と書かれている。このように、江戸時代までは椅子は一般には普及しておらず、そのため椅子に座るという生活習慣もなかった。